菅原順二
10月28日生まれ・AB 型
東京都出身
法政大学卒(2001)
New Zealand Institute of Sports(NZIS)
Sport Management and Exercise Prescription卒(2003)
株式会社arancia 代表取締役
株式会社infinito 代表取締役
法政大学ラグビー部ヘッド・フィジカルコーチ(2003-2006)
駿河台大学ラグビー部ヘッドコーチ(2003-2009)
Body Element System Japanディレクター(2010〜)
玉川大学体育会ダンスドリルチームトレーナー(2020〜)
ReebokONE アンバサダー
全米公認ストレングス&コンディショニングスペシャリスト(NSCA-CSCS)
Body Element Pilates (Mat & Equipment)マスタートレーナー
BodyKeyマスタートレーナー
MasterStretchマスタートレーナー
TYE4マスタートレーナー
School of movement認定 Certified Movement Coach(CMC)
日本eコーチング協会ベーシックパフォーマンスアナリスト(CBPA)
幼いころからスポーツに明け暮れ、2歳から水泳、5歳から野球を始める。その頃の夢は「原辰徳(巨人軍)」になること。
しかし、小学校6年生の時に父の影響で出会ったラグビー「平尾誠二(神戸製鋼)」に魅せられ、世田谷ラグビースクールでラガーマンの道を歩み出す。
その後、法政二高、法政大学体育会ラグビー部でプレーした後、無謀にも「世界最高峰でラグビーがしたい!」と思い。単身ニュージーランド(NZ)へ渡る。
ウェリントンラグビーユニオンのクラブチームOriental Rongotai(2001)、Marist St Pats(2002)でプレーする。当時は「ジョナ・ロムー(All Blacks)」との対戦を熱望するが叶わず。
「日本のラグビー界に恩返しがしたい!」と思い、NZISに入学し、ラグビーのコーチング/スポーツマネージメント/トレーニング学を学ぶ。専門はバランスボールとスピードトレーニング。
帰国後、法政大学体育会ラグビー部を軸に、数々のラグビーチームのスキルコーチ/フィジカルコーチ/アドバイザーなどを務る。現役時代も、コーチ時代も「日本一」になれなかったので、いつかはその夢を果たしたい思う。
幼馴染のアートディレクター梅浦康平と「日本の大人を元気する!」をコンセプトに株式会社arancia(アランチャ)を創業し、Training Studio aranciaをオープン。プロアスリート、ダンサー、アーティストのパーソナルトレーナーとして活動している。
2019年には、「日本の子供を熱くする!」をコンセプトとする株式会社infinitoを創業し、幼稚園や保育園に体育とトレーニングの大切さを広めている。
ピラティスと出会ったきっかけ
ラグビーのプレイヤー時代、小さい身体でも戦えるように体幹(コア)を意識してトレーニングしていました。「千代の富士」のような体幹ががっちりとして足腰が粘り強く、スピードがある身体を目指していました。ニュージーランドでは特にバランスボールがお気に入りのトレーニングツールだったのを覚えてます。
ピラティスに出会ったのは、引退後に知人に勧められて。しかし、ピラティスはヨガみたいで、「ダンサーみたいな身体の柔らかい人がやるもの」興味もなかったです(笑)
しかし、いざやってみるとまったくできない・・・
自分の身体なのに全然使えてない・・・
股関節の柔軟性がまったくない・・・
だから怪我ばかりしていたんだと気づきました(笑)現役時代に知っていたらもう少しラグビーを楽しめたのかもしれません。今では痛いとこは全くなく、昔より快適に自分の身体を動かせています!
その後、Body Element Pilatesマスタートレーナーに。また、新しいメソッドを求め、イタリアへ渡りBodyCode Systemの創設者ピノ・カルボーネ氏を師事。BodyKey & MasterStrechマスタートレーナーとして日本中に展開することになりました。